第4.4節 授業担当者によるScrapboxの利用と著作権法改正案
授業担当者がScrapboxなどのwebサービスを使って授業の履修者に対して資料を提示する方法を用いるとき、他人の著作権に関してどのような対応が必要になるか。
前提として、授業担当者自身が書いた文章や作成した画像などの資料を用いる限り、他者の著作権について顧慮は当然不要。また他者の作品のうち著作物ではないもの、あるいは著作物であっても著作権がないものを利用する場合も著作権についての顧慮は不要だ。
他人が著作権を有する著作物を使うにはその著作権者から利用の許諾を得るのが原則だが、許諾を得ずに利用できる態様もある。第1にリンクを置く方法だ。すでにweb上に公開されている著作物に言及する場合、URLを置き、参照すれば良い。URLを記述したに過ぎないから、当該著作物を複製せず公衆送信もしないため、著作権の問題とはならない。公衆送信しているのはその著作物を公開している者である。
第2に、32条に従って「引用」し、48条に従って「出所の明示」をする方法である。公表された著作物は32条の要件に則って「引用」し48条によって「出所の明示」をすれば「利用」できる。「利用」とは21〜28条に規定する各行為の総称であるから「公衆送信」を行うこともできる。論文で行う「引用」と基本的に同じだから、研究者でもある大学教員なら慣れている方法である。
そこで以下、「引用」以外の利用が可能かを検討する。紙によって配布するレジュメと異なるのは、35条の範囲を超える点だ。35条は授業の過程における「複製」を認めているから紙にプリントして配布することができるし、38条によって「公に上演し、演奏し、上映し、又は口述する」ことができるのでスライドにして映すこともできる。Scrapboxでもプレゼンテーションとしてプロジェクタでスクリーンに投影するといった方法で提示するなら、従来通り、著作権の問題は生じない。
問題となりうるのは、Scrapbox等のwebサービスを用いて他人が著作権を有する著作物を複製し、それをスクリーンに投影するのではなく授業の履修者が持つIT端末に対して有線・無線LANによって配信する行為である。例えば著作権のある書籍のページをスキャン(複製)したり音楽や映像を取り込んで、「引用」の要件を満たすことなくScrapboxのページに載せて授業の履修者の閲覧に供するといった行為が「公衆送信」に該当するかを検討する。
「公衆送信」とは「公衆によつて直接受信されることを目的として」いることを要件とする(2条1項7号の2)ところ、著作権法上「公衆」とは「特定かつ多数の者を含む」ものと定義される(2条5項)。学生は大学との間に継続的契約関係がありかつ当該授業の履修者という属性を持つから「特定」されているものの、そのクラスの履修者数が「多数」であれば「公衆」に該当する。「多数」の概念は具体的な人数が規定されていないが、概ね50人以上と考えられている。よって、およそ50人に満たない少人数のゼミや語学のクラスなら「公衆」に該当しない一方、大教室の授業において学生数が50人を超えてくると「多数」であり、「公衆」に該当すると言わざるを得ない。
従って、約50人に満たない語学やゼミなど少人数クラスでScrapboxのようなwebサービスを使って他人の著作物を提示する行為は「公衆送信」には該当せず「公衆送信権」(23条)の対象とはならない。35条とあいまって、無許諾で行うことができる。
他方、大教室の授業でScrapboxなどを使って学生の手元の情報端末に他人の著作物を提示する行為は「公衆送信」に該当しそうだ。授業の履修者という特定かつ多数の「公衆」「によって直接受信されることを目的として」おり、Nota社が提供するScrapboxというサービスのサーバを経由するから「同一の構内」に留まらない無線通信(Wi-Fi)および有線電気通信(LANとインターネット)の送信を行なっているからである。
この点35条2項は、学外のサーバに置いた他人の著作物を教員と同一の教室内にいる学生たちがWi-FiやLANを使って同時受信する教育方法を想定していないため、適用できない。したがって他人の著作物を引用によらずに授業で履修者に見せたいときには、プロジェクタに投影するか、紙にプリントして配布するしかない。
今回の改正案で対象とされているのはまさにその点である。35条を以下のように改正するよう提案されている。下線部は変更部分として文部科学省による案文に付されているものである。
(学校その他の教育機関における複製等)
第三十五条 学校その他の教育機関(営利を目的として設置されているものを除く。)において教育を担任する者及び授業を受ける者は、その授業の過程における利用に供することを目的とする場合には、その必要と認められる限度において、公表された著作物を複製し、若しくは公衆送信(自動公衆送信の場合にあつては、送信可能化を含む。以下この条において同じ。)を行い、又は公表された著作物であつて公衆送信されるものを受信装置を用いて公に伝達することができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びに当該複製の部数及び当該複製、公衆送信又は伝達の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。
2 前項の規定により公衆送信を行う場合には、同項の教育機関を設置する者は、相当な額の補償金を著作権者に支払わなければならない。
3 前項の規定は、公表された著作物について、第一項の教育機関における授業の過程において、当該授業を直接受ける者に対して当該著作物をその原作品若しくは複製物を提供し、若しくは提示して利用する場合又は当該著作物を第三十八条第一項の規定により上演し、演奏し、上映し、若しくは口述して利用する場合において、当該授業が行われる場所以外の場所において当該授業を同時に受ける者に対して公衆送信を行うときには、適用しない。
従来35条が認めていた「複製」に加え「送信可能化」を含む「公衆送信」をその対象としつつ、「公衆送信」の場合には補償金を支払うものとする規定である。これについて文部科学省は次のような説明を加えている。 2 教育の情報化に対応した権利制限規定等の整備(第35条等関係)
・ICTの活用により教育の質の向上等を図るため、学校等の授業や予習・復習用に、教師が他人の著作物を用いて作成した教材をネットワークを通じて生徒の端末に送信する行為等について、許諾なく行えるようにする。
【現在】利用の都度、個々の権利者の許諾とライセンス料の支払が必要
【改正後】ワンストップの補償金支払のみ(権利者の許諾不要)
教育のIT化に前向きなように見えるが、果たしてそうであろうか。紙にプリントして配布するなら無許諾かつ無償でできるし、プロジェクタでスクリーンに投影するならやはり無許諾かつ無償でできることを、ITを使って配信すると有償になる、というルールを前にして、現場はどのように行動するであろうか。正しく「引用」すればやはり無許諾かつ無償で利用できるのだから、「引用」しないでお金を払う道を選択する教員がいるだろうか。
ただでさえIT化に後ろ向きな教育現場は、課金されるのであれば従来どおりでいい、という反応をする可能性もある。すると教育IT化の促進を目的とする改正案でありながら逆に作用し、IT化を進める教育現場の足を引っ張ることになるかもしれない。
前述のとおり、教員が他人の著作物を授業で紹介する際、「公衆送信権」の対象となる状況は多くない。履修者数が「多数」でなければ「公衆」には該当しないし、「多数」に該当する人数の大教室においてもきちんと「引用」して「出所の明示」をすれば「公衆送信」を含む「利用」が可能だ。改正案の「公衆送信」の対象となるのは、「他人が著作権を有する著作物」を教員が授業において「引用」の要件を満たさない方法で同一構内ではないクラウド等を介して「多数」の履修者のIT端末に配信する場合に限られている。そのような状況は多くないだろう。そしてその行為が必要であっても課金されるとなれば、代わりに従来型の紙による配布か、プロジェクタによる投影を用いることになろう。
加えて懸念されるのは萎縮効果である。そのようなルールが不十分な理解のままに流布したとき、授業でIT機器を使って情報を配信するにはお金を払う必要がある、といった短絡的発想につながったり、それならIT機器の利用を見送ろう、と考える教育現場があると、せっかくの改正案が逆効果である。教材として使おうとしている対象が「著作物」か、「著作権」は現に存在しているか、「引用」ルールに則ることはできないか、履修者は「多数」か、「同一構内以外の設備」を使っているか、といった著作権法的な判断を多重に要する課金ルールの導入によってもし教育現場がIT化に二の足を踏むこととなるならば、急速にIT化が進む社会に適した改正案とは言えないだろう。
したがって改正案をもしこのまま施行するなら、制度の十分な周知が必要だ。課金されない「利用」方法である「引用」を教育現場で徹底することも大切である。ScrapboxのようなITによる効果的な教育手法が急速に進歩し普及する今日、著作権法がその環境として法的制度的な下支えとなり、「文化の発展に寄与する」ことを願っている。
【追記】2018年5月18日、本法案が参議院本会議で可決、成立した。一部を除いて2019年1月1日に施行され、35条に関係する改正については公布の日から起算して3年を超えない範囲内において政令で定める日に施行される。
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